2003年_09

「パキーノ・トマトのタネはイスラエルから来たって知ってる?見に行く?」

パキーノ・トマトの農園を見ることが出来なかったと悔しがる私の事を友人のロベルトが聞きつけて言ってくれたのでした。

「実は僕の友人(グラッツィエラ)がその会社で働いているんだ!だから行く?」

エトナ山の中腹にあるその会社に一歩入ると 「トマト!トマト!トマト!」 の写真広告、カタログの山!山!山!でした。
まさか、そういう会社に行く事が出来るなんて思っても見なかったのでひたすら圧倒されながら、言われるまま社屋の
奥のほうまで進むと大きな机を占領する女性に出会いました。



6年前は楽しく遊んだ大学生だったグラッツィエラは、今や立派なキャリアウーマンに成長していたのでした。
私がこの仕事を始めた経緯などを話すと彼女は

「そういう仕事するんだったら、ウチにあるカタログ全部持って帰って日本でしっかり勉強なさいよ!」

と言って、どっさりカタログとそれを入れる鞄までくれたのでした!
タネの会社なので、当然取引する会社は農園などの“生産のプロ”なワケでして、書いてある事はもう私の持っている
“伊和辞典”のボキャブラリーを越えてしまっているのです(^^;

が、頑張って読んでみると、
・このタネの生れはHazera:ハゼーラというイスラエルの町で
・この町の土壌や気候条件などをつぶさに書き記してあり
・いろんな種類のタネの比較を表やグラフで見ることが出来ました。

 


日本で取り上げられたとこのある“Naomi:ナオミ”という種類は日本的な名前でもあり、印象的で、かつ今でも
パキーノ・トマトでも重要な位置付けである事は確かなようです。(実際は日本の名前とは関係ありません)
“ナオミ”を研究して様々に改良したり、やっぱり“ナオミ”に戻ったりとかいろんな“熱い闘い?!”が繰り広げられている
ようです。



でもやっぱり重要なのは、土壌や気候条件なのだと。。。

自分の扱うトマトがどんなモノなのかを知りたかっただけ、から始まった事が予想外に展開したというお話でした。

続く。